2009年7月10日 (金)

「言志後録」 12

 人間の間におこるもめごとや社会におこる事変は、余り深く考えすぎてこれを処理しようとすると、かえって、失敗することがある。大抵の場合は、軽く見て、あっさり処分すれば、それが急所を突いている場合が少なくない。(61)

 トラブルが発生した瞬間は、パニック状態になっていることが多い。したがって、原因や理由がわからないから、解決のための道筋も見えない。
 ここで言いたいのは、パニックにならないように、起こった出来事をあまり重大に考えないようにするがよい、ということか?はたしてそれでいいかどうか。

 事は常に重大事に捕え、それでいてパニックには陥らず、冷静沈着に、しかもすばやく対処する。これが理想なのではないかと、私は思う。「軽く、あっさり」という姿勢が後で事をこじらせる。対応が遅れたために事が複雑重大になる。こういったことを結構多く見聞しているからである。

2009年6月14日 (日)

「言志後録」 11

 心の勢いは鋭くありたく、行いは端正でありたく、品位や人望は高くありたく、見識や度量は広くありたく、学問・技量のきわめかたは深くありたく、物の見方や解釈は真実でありたい。 (55)

 願望である。これ以外にもいくつも「ありたい」ものはある。行動しなければ、「ありたい」もものは手に入らない。それはわかっているけれど、難しい。

2009年5月24日 (日)

「言志後録」 10

 すべて大きな困難に遭遇した時は、急に解決しようとしてはいけない。必ず暫くそのままにしておくがよい。即ち一晩持ち越すことにし、枕もとで半分ぐらいざっと考え、それを思いながら寝て、翌朝心が清く明らかになった時、引き続いてこれを思案すれば、必ずおぼろげながらも一条の活路が見えてくる。そうなると、その難問題の義理(筋道)が自然に心の中の集まってくる。こうなって後にゆっくりとこの難問題を一つ一つ区別して処理していけば大概間違うことがない。 (45)

 急がない方がいいということは、他の項でも言っている。ことわざに「急いては事をし損じる」とあるから、確かにそのとおり。私の経験でも、時間をおいたことで筋道がはっきり見えて、よい解決につながったということがある。またあるときは、放っておいたら自然と終息したという出来事もあった。
 しかし、放置しておいたのでは問題がこじれる、悪化するということのほうが、むしろ多いような気がする。責任ある立場の者、組織のトップは、むしろ即断即決が必要なのではないか。また、それを求められているのではないか。

 事には、常に2面、多面がある。
 最近の世情をみると、解決を先送りにしているように見えることが多い気がする。

2009年2月20日 (金)

「言志後録」 8

 春風のなごやかさをもって人に応接し、秋霜のするどさをもって自らを規正する。(33)

 「付記」に、山本玄峯禅師の「人には親切、自分には辛切、法には深切であれ」という言葉を紹介している。

 この「春風をもって人に接し、秋霜をもって自ら粛む(つつしむ)」ということばは、だいぶ前に、結婚披露宴で祝辞を求められた時に用いたことがある。なかなか難しいことで、ましてや行住坐臥一緒の者どうしではきわめて難しいと思う。しかし、努めたいことではある。

2009年1月25日 (日)

「言志後録」 7

 心の役目は思うということである。思うということは、道の実行について工夫を重ねることである。思えばそのことについてますます精しく明らかになり、いよいよ真面目に取り組むようになる。その真面目に取り組む方面からみて「行」といい、その精通する方面からみて「知」という。したがって、「知」も「行」も結局は「思」の一字に帰着する。(28)

 「論語」にも「学んで思はざればすなはちくらし」とあるように、「思う」ことの重要なことはよく言われるところ。「思う」ことは個々の人間がすることかもしれないが、効率を求める忙しい教育では「思う」時間を考慮に入れない。機械的に学んだことの受容量・残蔵量を測るようなテストが、人間を壊している。
 二宮尊徳だったか、「知行合一」ということを言っている。頭だけが大きくて、手足が退化したような人間が多くなった未来は、混乱から滅亡への道だ。最近の経済状況をみると、その傾向の現れではないかと思う。

2009年1月13日 (火)

「言志後録」 6

 およそ、人は急いでしなければならない事を敢えて急にしようとしないで、必ずしも急にしなくともよいことを、かえって急にしようとする。皆間違った考えである。聖人の学問は即刻なすべき事、即ち急いでつとむべき実際に役立つ事である。「今学ばなくても翌日がある」などと言って怠けてはいけない。酒宴を開いて客を集めたり、山に登ったり湖水に船を浮かべたりするような、すべて心のままに遊び楽しむことなどは、今日しなくても明日があると言っても宜しい。(15)

 「付記」に、「今学ばなくても翌日がある」は朱子の勧学によるものだとし、四句を引用している。
 宋の時代の朱熹に、「学を勧むる文」という詩がある。

  謂ふ勿れ
  今日学ばずとも来日有りと
  謂ふ勿れ
  今年学ばずとも来年有りと
  日月逝けり 歳 我と延びず
  嗚呼 老いたり 是れ誰のあやまちぞや

 同じ作者が、「偶成」という詩を作っていて、その中で「少年老い易く学成り難し 一寸の光陰軽んずべからず」とあるのは、よく知られている。同趣旨である。

 わかっちゃいるけど、どうしても目先の楽しげなことに心を奪われて、それを先にする。それが普通の人。私もごく普通の人で、余命残り少なくなっているのに、やるべき事を後に送って過ごしている。
 かつて、若い時に皆が青春を謳歌して楽しく過ごしているのに刻苦して来たのだから、今彼らより優遇される立場にあっても当然だと言った人がいた。もっともだと思う。ずっと楽をして、安穏な暮らしをしてきてなお豊かな暮らしを願うのは虫がよすぎる。今は、そういう虫のいい人間が多すぎるのではないかと思う。
 急に職を失った派遣社員などの人は、気の毒だと思う。そう思いながら、制度の問題点に怒りを覚えるのだが、同時に、どうして彼らは派遣社員になったのだろうかという疑問もある。派遣という身分の不安定な就職の道を選んだのはなぜだろうかと思う。正規社員として求職する道を選ばなかったのはなぜだろう。
 今日のニュースで、派遣村の人々のうち、突然の解雇で職と住まいを失った人は20パーセントあまりだと聞いて、余りの少なさに驚いた。別のニュースで、有効求人倍率が4倍以上の、いわゆる人不足の職があると聞いてこれまた驚いた。本気に働こうとしているのか、という疑問をつぶやいた役人が非難されたが、あるいは非難が不当なのかもしれない。

2009年1月 4日 (日)

初日と富士山

 2009年、明けましておめでとうございます。

 元旦に、地元の信用金庫が屋上を開放して初日を見る会を催してくれた。そこに初めて行ってきた。
Cimg0245 Cimg0245_2 Cimg0246 早くから来ていた人が前にいて日の出の写真はいいタイミングで撮れなかった。しかし、次第に茜色に染まっていく富士山の姿は、何枚かとることができた。写真は、同じものになったかも。

2008年12月31日 (水)

今年の作品

 2008年も今日で終わる。
 今年の作品を振り返ると、水墨画では「流氷」、木彫では「待合わせ」が、自己推薦の「特選」である。そのほかに、水彩画、油彩画も少数描いたけれど、自己展にも並べられないレベルである。
 水墨画は、15号で、北海道に旅行したとき観光砕氷船から撮影した写真をもとに描いたもので、全国総合水墨画展に入選して、国立新美術館に展示された作品。これは、以前この記事で紹介したように思う。
 Cimg0235
 木彫では、写真(横向きで失礼。向きの変え方がわからないもので)が「待合わせ」で、高さ24センチ、桂材、木彫オイル仕上げである。日高市美術展に出品したが、入賞しなかった。ポーズのヒントは、ファッション誌に出ていた写真。無料でくれる通販のカタログにあったものからヒントを得て、およそのスタイル画を描いて制作にかかった。

 今年、水墨画はクラブにほとんど欠席なく出ているので、週二回の活動で描いたものだけでもかなりの枚数になる。そのほかに、自習で描いたものもあるので、相当な枚数にのぼるだろう。
 木彫は、政策メモを見たところ15,6くらいを作っている。現在制作中のものも3つくらいある。

 来年は、もう少し上達するかどうか。他人の心をひくようなものができればいいが。

2008年12月25日 (木)

「言志後録」 5

 官職にある者にとって好ましい文字が四つある。それは、公の字、正の字、清の字、敬の字の四つである。よくこれを守れば、決して過失を犯すことはない。また、好ましくない字が四つある。それは、私の字、邪の字、濁の字、傲の字の四つである。かりにもこれを犯したならば、いずれも皆禍を招く道である。(14)

 官職にあるなしにかかわらず、人間としてこの世にある限り大切に心がけるべきことである。
 そうあるべきものとして、公平無私であること、正しくあること、清廉潔白であること、自己に慎み深く他を敬うことをあげている。公も正も清も即わかるが、注意を要するのは「敬」である。敬うという意味は知っているが、「自分に慎み深くある」という意味が付随していることを見落としがちだ。
 そうあってはならないものは、当然そうありたいものの反対。不公平、よこしま、不品行、おごりたかぶる、これらをあげているわけだ。

 今年一年を振り返ると、そうあってはならない文字に満ちた世情だったような気がする。押し詰まってから、経済状況の悪化から特にひどい状況になったように思う。
 世情に疎い自分には、わからないことだらけだ。「派遣切り」が毎日のニュースをにぎわせているが、どこかがおかしい。根本は、「派遣」を商売として認めたことに問題があるのではないか。働いた人からピンはねして会社が成り立つ、これはどうしても納得がいかない。また、「派遣」をした会社にとっては、派遣社員は自分のところの社員なのではないか。派遣先から切られたならば、派遣会社が彼らの面倒を見るべきなのではないか。
 景気が良い時には、企業はあくなき欲望を発揮して、利益を追求する。いつかはそんなに売れなくなることを心配しているようにも見えない勢いだ。そして、不況になれば、派遣社員で労働力調整をする。まったくの使い捨てだ。
 派遣社員の人たちは、いつかこんなことになるということは考えていなかったのだろうか。考えていれば、その時に備えた日常であったわけで、明日から困る、ということにはならないのではないかと思う。30万なり40万なりの給料をもらっていれば、どうしてもそれなりの生活をしてしまいがちだが、私たち年金生活者でも年金額の何割かの生活をしてもしもの時に備えているのだから、不安定な立場の人は収入の半分ぐらいの生活が必要になるのではないかと思う。まったく厳しい時代、社会だ。

2008年12月14日 (日)

「言志後録」 4

 下に仕える役人が一生懸命自分の職務に尽くすならば、上役の者はよく励ましほめて指導してやるがよい。時には理屈に合わない見解があっても、まずはしばらく容れておいて、機を見て徐々に諭すがよい。決して頭ごなしに抑えつけてはよくない。抑えつけると、意気を阻喪し、たるんで、それから先真心を尽くさなくなってしまうものだ。(13)

 職場における上司の部下を指導する際の心構えを述べたもの。まことにもっともである。私自身、若い頃にはそのようなご指導によって随分と引っ張り上げていただいたことがあったに違いない。しかし、自分が年長になってから、どれだけそのようにしてきたか心もとない。心の片隅には、このような心がけを持ってはいたけれど。
 この教訓は、教育や子育てにおいても共通するものである。「育てる」ということに共通する教訓で、冷静さと忍耐、それと時間が必要な原理原則だと思う。
 家庭でも学校でも即効が美徳とされ、すぐにいい答が出なくてはならない、いい結果が出なければならないという風潮が強くなってから、教育が崩壊したと思う。
 水を飲みたがっている馬に水を飲ませるのは容易であろうが、飲みたがっていない、飲むことを忌避している馬に飲ませるのは困難であろう。指導を受けようとしていない者に対するのに、いくら予備校の優れた授業者が講義をしても無駄なこと。第一、子供を教室に入れるところから始まる学校もあるのだ。

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