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2008年10月21日 (火)

「言志録」 39

 人を教うる者の肝要なことは、立志の堅固であるかどうかを責むべきことで、その他のことを口やかましく言っても、それは何の益にもならない。(184)

 ことわざに、水を飲みたがっていない馬に水を飲ますことができない、というようなのがあったと思う。
 これと同じことで、志のない者の学習は吸収が悪い。志盛んなものは、たとえ教え方が下手でも、あるいはあえて教えようとしなくても学ぶべきことを身につけていく。しかし、この「立志」を持たせることが難しい。
 近年の若者のなかには、志を持たぬ者が多くなっているように思う。原因がどこにあるのかは、推測をすればできなくもないが、確たることはわからない。たとえその志が小さなものであってもいい。「千里の道も一歩から」というように、積み重ねていけばかつては想像しなかったところに到達しているということもあるのだ。
 ある書物に、「貧しきははずるにたらず。はずべきはこれ貧しくて志なきなり」とあるそうだ。もちろん、貧しいとは経済的な貧しさだけではなく、精神的なものも含む何もかもを言っていると思う。「飢え」とか「渇き」といったもの。自分に足らないものを自覚することではないかと思う。

 かつて教職にあったころを振り返り、「教える」行為に不遜なものがあったことを痛く反省している。気持ちとしては、教えるというより学ばせることを方針としてはいたが、それでもなお、恥ずかしい気持がする。そのせいで、いま、教えることにきわめて慎重、引っ込み思案になっている。教えるとは学ぶことだという境地になれればいいが、今の自分では、教えることは恥ずかしいばかり、後悔のタネになるばかり。

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