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2008年10月11日 (土)

「言志録」 38

 聡明かつ叡知で、よくその天分(本性)を尽くされる人は、君主と教師を兼ねた方である。この場合、君子の仰せが即ち教師の教訓であって、二つではないのである。ところが、後世になると、君主と教師とが分かれた。師の道が立って来たということは、君の道が衰えたからである。故に、五倫の道に君臣があって、師弟は記されていない。素より師弟がないのではない。君臣が即ち師弟であったから、別に師弟の項目を立てる必要がなかったのである。ある人が五倫の中の朋友が師弟を兼ねているというのは誤りである。 (177)

 「五倫」は、「孟子」のなかに「父子信あり、君臣義あり、夫婦別あり、長幼序あり、朋友信あり」とあるのを、日本人が名付けたらしい。
 いつからか、なぜだかはわからないが、確かに大昔には君・師が同一であったに違いない。しかし、それはおそらくは神代の時代までさかのぼらなければならないものだと思う。
 それにしても、五倫に師弟が入っていないことは、指摘されて初めて気付かされたことである。誰かが述べている朋友が師弟を兼ねているという論を批判しているのは、もっともだと思う。確かに「信」は大事ではあるが、それ以上に「厳」とか「格」といったものがなければならないだろう。

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