« 2008年9月 | トップページ | 2008年11月 »

2008年10月30日 (木)

「言志録」 41

 (言葉は徳の響きというべきものであるから)言葉を慎むことは、即ち行いを慎むことである。(これで言行一致ができるのである) (186)

 「慎言五則 その二」としてあげてある。189段にも、「人は最も当に口を慎むべし。口の職は二用を兼ぬ。言語を出し、飲食を納るる是なり。言語を慎まざれば以て禍をまねくに足り、飲食を慎まざれば以て病を致すに足る。諺にいう、禍は口より出で、病は口より入ると。」とある。
 不言実行とか陰徳といったことが尊ばれたのは昔のことになった。今は有言実行をよしとする感じ。有言は、自分の目標を公言することによって、自分にプレッシャーをかけ、叱咤激励をするためであろう。そうしなければ「実行」できないというのでは、少し弱い。
 それでも、実行すれば大したものだ。今は言うだけ言って少しも実行しないものが多い。自分の言葉に責任を持たないものが多い。責任を持たないならしゃべるな、と言いたくなる。
 名のある、責任のある、反響の大きい立場の者が、安易な、軽率な、場合によっては愚かとも思えるような発言をすることが、身の回りに多くなったような気がする。それを、話題性があるとして取り上げ、追いかけまわしているマスコミも悪い。そういう取り上げ方をしなければ、しゃべったことの反響がないことに落胆して、いくらかは口数が少なくなるだろうか。

2008年10月27日 (月)

桂木観音をスケッチ

 先週(10月20日)に、所属のサークルで毛呂山町に写生に出かけた。その時スケッチしてきた絵に水彩で彩色し、同時にそのスケッチを下絵にして水墨画にしてみた。写真は、それ。桂木観音の急な石段を見上げて山門を描いたもの。
 桂木観音は、ハイキングコースにも紹介されていて、ここから眼下に毛呂山の街が眺望でき、おそらく紅葉や新緑の頃の景色はすばらしいことだろう。また、道端にアジサイが多数植えられていて、開花時期にはこれもハイキングする者の心をいやしてくれると思う。
 石段の昇り口には、車が何台かおけるスペース、意外にきれいなトイレもある。山門の中の仁王像は傷んでいて残念。短い時間にスケッチするのに精いっぱいで、境内をじっくり見ないで帰ってきてしまった。
Cimg0191 Cimg0190

2008年10月25日 (土)

ジャズを聞き、クラシックを聞く

 今週は、二度コンサートに出かけた。

 19日には、「原信夫とシャープアンドフラット」のジャズ演奏。これは、信用金庫が顧客に対するサービスとして音楽や狂言、落語、浄瑠璃などの公演を本店内のホールで行っているもので、今回申し込んでおいた「原信夫とーー」に当選したので聞きに入った次第。
 「A列車で行こう」「セントルイスブルース」などの有名な曲や原信夫が美空ひばりのために作曲したという「真っ赤な太陽」などの14曲、約2時間の演奏。
 原信夫は、81歳だそうだ。今年グループ結成57年。曲を紹介する際のスピーチの声は、さすがに老人の声ではあるが、指揮をしながらの演奏はずっと立ちっぱなし。その元気さには驚く。聴衆も高齢者がほとんどだが、演奏者から元気づけられて、手拍子を打ちながら盛り上がった。

 23日には、「国際親善交流特別演奏会」のクラシック音楽の演奏。東京芸術劇場大ホールで行われた。指揮・及川光悦、ピアノ・ヤナコフ、バイオリン・佐藤多美子、チェロ・植木昭雄などで、「リスト作曲ピアノ協奏曲」「ブラームス作曲バイオリンとチェロのための二重協奏曲」「シューマン作曲交響曲」などを約時間半にわたって聞いた。
 クラシック音楽は全く無知で、どの曲も知らない曲で、わずかにどこかで耳にしたことのあるメロディがあったくらい。途中で眠るんではないかと心配したが、眠ることなく聞き入った。
 指揮者や演奏者などもどこかで耳にしたことのある人かもしれないが、全く記憶にない人たちばかり。この方面に関する知識・教養がないために、よい聞き手にはなれなかった。

2008年10月22日 (水)

「言志録」 40

 ペラペラしゃべる時は、自分ながら気の乱れているのを感じる。気が乱れると、道理に飢えてくる。道理に飢えた心でどうして人を動かすことができようか。(185)

 この項の見出しに「慎言五則 其の一」とある。ペラペラしゃべることを慎むべきことを言っている。言葉は、心の内が表出したものだから、「ペラペラ」は心の状態も浮ついている。孔子が「巧言令色少なし、仁。」と言っていることを思い出す。
 ほとんど見ることがないが、テレビでトーク番組というのがある。芸能人のゲストが司会者の進行によって、面白おかしさを演出した発言で、受けをねらっている。これなどはみんな饒舌で、内容が乏しい。軽佻浮薄な番組だ。娯楽だから面白おかしければいいのかもしれないが、この類の番組がいくつもあるのはどうかと思う。
 

2008年10月21日 (火)

「言志録」 39

 人を教うる者の肝要なことは、立志の堅固であるかどうかを責むべきことで、その他のことを口やかましく言っても、それは何の益にもならない。(184)

 ことわざに、水を飲みたがっていない馬に水を飲ますことができない、というようなのがあったと思う。
 これと同じことで、志のない者の学習は吸収が悪い。志盛んなものは、たとえ教え方が下手でも、あるいはあえて教えようとしなくても学ぶべきことを身につけていく。しかし、この「立志」を持たせることが難しい。
 近年の若者のなかには、志を持たぬ者が多くなっているように思う。原因がどこにあるのかは、推測をすればできなくもないが、確たることはわからない。たとえその志が小さなものであってもいい。「千里の道も一歩から」というように、積み重ねていけばかつては想像しなかったところに到達しているということもあるのだ。
 ある書物に、「貧しきははずるにたらず。はずべきはこれ貧しくて志なきなり」とあるそうだ。もちろん、貧しいとは経済的な貧しさだけではなく、精神的なものも含む何もかもを言っていると思う。「飢え」とか「渇き」といったもの。自分に足らないものを自覚することではないかと思う。

 かつて教職にあったころを振り返り、「教える」行為に不遜なものがあったことを痛く反省している。気持ちとしては、教えるというより学ばせることを方針としてはいたが、それでもなお、恥ずかしい気持がする。そのせいで、いま、教えることにきわめて慎重、引っ込み思案になっている。教えるとは学ぶことだという境地になれればいいが、今の自分では、教えることは恥ずかしいばかり、後悔のタネになるばかり。

2008年10月11日 (土)

「言志録」 38

 聡明かつ叡知で、よくその天分(本性)を尽くされる人は、君主と教師を兼ねた方である。この場合、君子の仰せが即ち教師の教訓であって、二つではないのである。ところが、後世になると、君主と教師とが分かれた。師の道が立って来たということは、君の道が衰えたからである。故に、五倫の道に君臣があって、師弟は記されていない。素より師弟がないのではない。君臣が即ち師弟であったから、別に師弟の項目を立てる必要がなかったのである。ある人が五倫の中の朋友が師弟を兼ねているというのは誤りである。 (177)

 「五倫」は、「孟子」のなかに「父子信あり、君臣義あり、夫婦別あり、長幼序あり、朋友信あり」とあるのを、日本人が名付けたらしい。
 いつからか、なぜだかはわからないが、確かに大昔には君・師が同一であったに違いない。しかし、それはおそらくは神代の時代までさかのぼらなければならないものだと思う。
 それにしても、五倫に師弟が入っていないことは、指摘されて初めて気付かされたことである。誰かが述べている朋友が師弟を兼ねているという論を批判しているのは、もっともだと思う。確かに「信」は大事ではあるが、それ以上に「厳」とか「格」といったものがなければならないだろう。

2008年10月 6日 (月)

いきがい大学 東松山学園校友会 文化祭

 彩の国いきがい大学東松山学園校友会の第11回文化祭が終わった。

 文化祭は、9月30日搬入・展示、10月1日から一般公開し、10月5日午後搬出で終了した。今年は、これまで使用していた会場が閉鎖になり使えなくなったために、東松山市立図書館のギャラリーを借りて開催した。この催しを主管する役員は、卒業2年目の会員が担当することになっており、今年は我々21期卒業生が担当した。来年担当することになる22期生の役員の協力を得て、盛会のうちに終わった。
 会場のスペースの関係で、一人2点以内、絵画などの額ものは10号以内などの制限をした結果、260点余りの出品に収まり、何とか展示ができた。また、図書館職員の皆さんのご協力、ご配慮があって、運営に携わる役員は大いに助かった。

 写真は、会場入り口(左)、絵画展示コーナー(中)、私の出品した水墨画(右)。私は、水墨のほか木彫を出品した。出品した木彫は、以前「目交」というタイトルで紹介したことのある作品。
Cimg0166 Cimg0165 Cimg0164

2008年10月 4日 (土)

「言志録」 37

 俄かの出来事をうまく処理して信用を勝ち取り、その功績が土台になって平日の信用がますます加わる場合がある。また、平日の信用があるために、時に臨んで手柄を顕すこともある。(149)

 ノートには、この項の抜き書きの後に所感がメモされている。抜き書きした時に、書き付けたものだろうが、どういう心境であったかはわからない。そのメモは以下のとおり。

 トラブル等が発生した際の対処の仕方で職員の信用が得られることがある。従って、急変のときの対処は大切である。また、ふだんは変事なく過ぎているわけで、その何事もなき日の仕事ぶりが大切である。

 トラブルの処理によって信用を得、それを力に平常の日々の仕事に精励する。そうすることによって、再び難事が起こった時にそれまで以上の力をもって処理できる。そういう好循環があるに違いない。

 このことと似ていることがある。年金問題で、次々と出てくる不正問題の対処に懸命な大臣の姿勢。そのタフさ、誠意に感心する。決して自分が行った不正ではないし、政権を担っていた政治家の行ったことではない不正。官僚やその配下の機関が行った不正。しかし責任がなくはない。懸命に対応している大臣に、声援を送りたい気持ちだ。おそらくこの問題の処理は、余人をもって代え難いだろう。ましてや、政権交代があった暁には、官僚たちがこれまで以上に政治家に非協力的に背を向けて、政治に停滞、遅滞を招いて混乱がひどいことになるような気がする。官僚を配下のように「使いこなす」なんて、侮ってはならない。

« 2008年9月 | トップページ | 2008年11月 »

2013年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

最近のトラックバック