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2008年6月11日 (水)

「言志録」 24

 我々が出会うところの、苦しみ悩み、変った出来事、辱しめを受けること、人から悪く言われること、心に困ったと思うこと。これらのことは皆、天の神が自分の才能を老熟させようとするもので、いずれも我が修徳勉励の資でないものはない。
 だから、君子は、このようなことに出会ったならば、これをどう処理するかに工夫をこらすべきもので、これから逃げようとすることはいけないことだ。(59)

 この項の「付記」に、「孟子」の一節と西郷南洲の詩の一節が紹介されている。
  『天の将に大任を是の人にくださんとするや、必ず、まず、その心志を苦しめ、その筋骨を労し、その体膚を餓し、その身を空乏にし、行その為す所に払乱す。心を動かし、性を忍び、その能くせざる曾益する所以なり。』(告子章句下)
 『幾たびか辛酸を歴て、志始めて堅し、丈夫は玉砕すとも、せん全を愧ず。』

 子供の頃、「艱難汝を玉とす」ということを、父によく言われたことを思い出す。そんなこkとは、うまくだまされなければ、とても自ら艱難の中に飛び込んでいくことはできない。初めからそう信じて苦しみを求めるものがいるのだろうか。苦痛を避けようとするのは、動物の本能なのではないだろうか。初めは、周囲の大人からうまいことだまされて、大変なことにチャレンジさせられ、そうこうしているうちに周囲からありがたがられたり、自ら満足感を味わったりして、そうすることが自分の成長や存在感を確認できるところとなって、それをあえて求めるものが、ごく少数でてくる。そういうことなのではないかと思う。そういう人は、あえて辛苦を求め、それを処理していくことによって、一般からぬきんでた立派な人物、「君子」といわれる人物になるのだ。
 「君子」となった者には、忠告するまでもない。すすんで課題に対決し、解決しようとする。決して逃げたりなどしないだろう。

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