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2008年5月30日 (金)

嵐山渓谷へのハイキング

 彩の国いきがい大学東松山学園21期校友会では、「新緑の嵐山へ遊びに行こうー都幾川渓谷と大平山の散策」と題して、今日、親睦ハイキングを実施するはずだった。参加するつもりでいたが、あいにく朝から雨が降っていて、計画が「雨天中止」だったので、出かけるのをやめた。おそらく中止になったのだと思う。
 案内図によると、予定のコースの中に、与謝野晶子の歌碑が嵐山渓谷にあるようだ。まだ見たことがないので、どんな歌が刻まれているのかわからないが、少し調べてみた。
 「埼玉文学探訪」という本には「武蔵嵐山」の項目があるものの、与謝野晶子の歌碑のことにはふれられていない。「埼玉現代文学事典」にも、歌碑の存在についてはふれられていない。しかし、与謝野晶子の項目の中に、武蔵嵐山の歌のことが記されている。
 晶子の遺稿集「白桜集」に「比企の渓」と題する10首があり、いずれも晶子夫妻が主宰した月刊歌誌「冬柏」に発表されたものだという。詞書に「比企郡菅谷を今人武蔵嵐山と云ふ」とあることを紹介し、以下の歌をあげている。
 槻の川比企判官の地を選びわれ五月雨を聞く如きかな
 仮初めに更け仮初めに明くる夜の秩父の水の鳴る枕かな
 山がらすみをつくし立ち橋写る菅谷の淵の上に朝鳴く
 鳥よりも大きなる蛾に変るべき心を持てる栗の花かな
 青すすき花のあざみの間なる泥廊ながく羊来て鳴く

 嵐山渓谷の歌碑には、上の歌の中のどれかが刻まれているのだろうか。それとも、それ以外の歌が刻まれているのだろうか。そのうち確かめてみたいものだ。

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