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2008年5月14日 (水)

「言志録」 18

 自分の身分を知れば、そう望外なことは望めず、また、自分の天分を知れば、現状で満足することを知る。(42)

 私くらいの年齢になれば、よくわかる。若い頃には、背伸びをしたがる。背伸びでは届かないから、ジャンプをする。しかしこれはこれでよい。若いうちはそういう行動が、より上に行く体力増強になっているのだから。これがなければ、向上、発達が期待できないのだから。
 よく、能力に無限の可能性があると信じている人がある。無限の能力を持っている人がいるのかもしれないが、多くは限界があるものだと思う。ところが、例えば子供の教育などで、わが子はどこまでも伸びると信じて、夢中になっている親を見かける。
 何かを犠牲にしてエネルギーを注げば、そうしない場合よりは上の水準に行くには違いない。しかし、計算上は、その犠牲にした分を到達点からマイナスしなければならないのではないか。そうすると、大差がないことがわかる。
 テキストの「付記」に、仏典にも足るを知る者が本当に富んでいる者だと教えているとあり、有名な「吾唯足るを知る」の判じ物を紹介している。
 あるところに、次のような記事があった。
 「自分」というのは善い言葉である。ある者が独自に存在すると同時に、また全体の部分として存在する。その円満無碍なる一致を表現して「自分」という。われわれは自分を知り、自分を尽くせば善いのである。然るにそれも知らずして、自分、自分と言いながら、実は自己、自私を恣にしている。そこにあらゆる矛盾や罪悪が生じる。そういえば、何でもないようで、実は自分を知り自分を尽くすことほど難しいことはない。自分がどういう素質能力を天賦されているか、それを称して「命」という。これを知るのが知命である。知ってそれを完全に発揮していく、則ち自分を尽くすのが「立命」である。(安岡正篤が西澤嘉朗「東洋庶民道徳」の序文で述べている)
 私は、いまだに自分を知り尽くせずにいる。知り尽くせないままに生涯を終わるのではないかと思っている。
 

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