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2008年4月25日 (金)

「言志録」 15

 しばらくぶりに「言志録」をとりあげます。繰り返しになりますが、この記事について若干解説と注釈をします。
 10年以上前に、佐藤一斎(江戸時代末期の学者、1772~1859)の「言志四録」を読みましたが、その折、共感する条項をノートに書き抜いておきました。今、これを読み返しながら、即興的な所感をコメントしているものです。
 「言志四録」は、「言志録」「言志後録」「言志晩録」「言志てつ録」の四書からなるので、「四録」と言います。このうち、現在は「言志録」の抜書きを見ています。テキストは講談社学術文庫で、書き下し文、原文(漢文)、訳文、語義の構成になっています。私の力では原文を読むのは難しいので、それ以外を詠んで、ノートには書き下し文と訳文を抜書きしました。この記事では、「言志録」の本文は訳文をもって代用しています。取り上げた本文の文字の色を変え、文末に括弧でその文の条項ナンバーを入れることにします。

 他人の言うことは、一応、聞き入れてからよしあしを選択すべきである。始めから断ってはいけない。また、その言に惑ってはいけない。(しっかりした自分の考えがなければいけない。) (36)

 他人の言に耳を傾けることは、結構難しい。ともすると、他人の発言をさえぎってまで、自己主張をしたくなる。傍観的に、そうしている人を見ると、まったくいやな気分になる。
 「聞く耳を持つ」ということは、公平な判断をする上できわめて重要だ。「その言に惑ってはいけない」と言うけれど、決断を下す前にはそれは無理ではないか。自分の考えとの間で迷い惑いながら、自分の考えを確認、補強、修正した結果で決断するのではないか。動かしがたい自分の考えがあるなら、他人の言を聞くまでもないし、聞くのは形式的なものになる。
 「聞く耳を持つ」ための訓練が、今、教育の場でどのように行われているのだろうか。あまりその配慮がなされていないのではないかと邪推してしまう。
 先日、グループで問題解決をさせていると言うどこかの学校の学習がテレビで紹介されていた。互いに解決方法を述べ合い、聞き合いしながら、解答していく。ここには、他人の意見に耳を傾けるという「我慢」があり、聞いた意見を参考に自分の考えを「作る」という思考過程があって、きわめて教育的だと思う。
 こういう教育活動は、昔は結構普通に行われていた。しかし、このやり方は効率的ではない。効率、経済性を追求する経営論的な今の教育観のもとでは、邪道なのかもしれない。

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