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2008年4月28日 (月)

「言志録」 16

 よく人を容れる雅量があって、始めて人の欠点を責める資格がある。雅量のある人から責められれば、人もその責を受け入れる。反対に、人を容れる雅量のない人は、人の短所を責める資格がないし、こういう人に責められても、人は受けつけない。(37)

 この条は、「容人三則 その三」としてあげているもの。前回取り上げた36条が「容人三則 その二」で、「その一」は35条に「物を容るるは美徳なり。然れども亦明暗あり。」とある。
 言っていることもっともで、日常的に経験し、実感してきたことだ。自分のことはさておいて、人の批判をしたり人に注文をつけたりする人は、身の回りに結構いるものだ。そういう批判や注文は、表面的には受け入れたふりをしても、内心では「何言ってるんだ」と反発していることが多い。
 私は、人を責める気持ちが心中に起こっても、それをできるだけ外に出さないように気をつけているつもりだ。それは、自分が「人を容れる雅量」に欠けていると思っているからだ。
 本当は、「人を容れる雅量」が備わればいいと思っている。そうすれば、おのずと「人を責める」気持ちも湧いてこなくなるのではないか?

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