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2008年4月28日 (月)

「言志録」 16

 よく人を容れる雅量があって、始めて人の欠点を責める資格がある。雅量のある人から責められれば、人もその責を受け入れる。反対に、人を容れる雅量のない人は、人の短所を責める資格がないし、こういう人に責められても、人は受けつけない。(37)

 この条は、「容人三則 その三」としてあげているもの。前回取り上げた36条が「容人三則 その二」で、「その一」は35条に「物を容るるは美徳なり。然れども亦明暗あり。」とある。
 言っていることもっともで、日常的に経験し、実感してきたことだ。自分のことはさておいて、人の批判をしたり人に注文をつけたりする人は、身の回りに結構いるものだ。そういう批判や注文は、表面的には受け入れたふりをしても、内心では「何言ってるんだ」と反発していることが多い。
 私は、人を責める気持ちが心中に起こっても、それをできるだけ外に出さないように気をつけているつもりだ。それは、自分が「人を容れる雅量」に欠けていると思っているからだ。
 本当は、「人を容れる雅量」が備わればいいと思っている。そうすれば、おのずと「人を責める」気持ちも湧いてこなくなるのではないか?

2008年4月27日 (日)

秩父市羊山公園の芝桜

041_2 先日、秩父市の羊山公園に芝桜を見に行ってきた。
往路は、横瀬駅から1.2キロの歩き、帰りは西武秩父駅まで1.5キロの歩きと、軽い散歩。平日だったので、4年前に行った休日とは違って、それほどの混雑ではなかった。ゴールデンウイークには、たぶん、大変な人出になるだろう。花も、最後で、最高の開花になっているのではないか。
 以前行ったときに比べて、通路の整備、店舗や休憩所の増加・整備等、観光環境がだいぶ進んでいる。入園料300円で整備されたのか?
 この面積、16500平方メートル、8種類の花が40万株以上ある。駅からそう遠くなく、手ぶらで行っても売店があるので心配なく、軽いハイキングには好適。

2008年4月25日 (金)

「言志録」 15

 しばらくぶりに「言志録」をとりあげます。繰り返しになりますが、この記事について若干解説と注釈をします。
 10年以上前に、佐藤一斎(江戸時代末期の学者、1772~1859)の「言志四録」を読みましたが、その折、共感する条項をノートに書き抜いておきました。今、これを読み返しながら、即興的な所感をコメントしているものです。
 「言志四録」は、「言志録」「言志後録」「言志晩録」「言志てつ録」の四書からなるので、「四録」と言います。このうち、現在は「言志録」の抜書きを見ています。テキストは講談社学術文庫で、書き下し文、原文(漢文)、訳文、語義の構成になっています。私の力では原文を読むのは難しいので、それ以外を詠んで、ノートには書き下し文と訳文を抜書きしました。この記事では、「言志録」の本文は訳文をもって代用しています。取り上げた本文の文字の色を変え、文末に括弧でその文の条項ナンバーを入れることにします。

 他人の言うことは、一応、聞き入れてからよしあしを選択すべきである。始めから断ってはいけない。また、その言に惑ってはいけない。(しっかりした自分の考えがなければいけない。) (36)

 他人の言に耳を傾けることは、結構難しい。ともすると、他人の発言をさえぎってまで、自己主張をしたくなる。傍観的に、そうしている人を見ると、まったくいやな気分になる。
 「聞く耳を持つ」ということは、公平な判断をする上できわめて重要だ。「その言に惑ってはいけない」と言うけれど、決断を下す前にはそれは無理ではないか。自分の考えとの間で迷い惑いながら、自分の考えを確認、補強、修正した結果で決断するのではないか。動かしがたい自分の考えがあるなら、他人の言を聞くまでもないし、聞くのは形式的なものになる。
 「聞く耳を持つ」ための訓練が、今、教育の場でどのように行われているのだろうか。あまりその配慮がなされていないのではないかと邪推してしまう。
 先日、グループで問題解決をさせていると言うどこかの学校の学習がテレビで紹介されていた。互いに解決方法を述べ合い、聞き合いしながら、解答していく。ここには、他人の意見に耳を傾けるという「我慢」があり、聞いた意見を参考に自分の考えを「作る」という思考過程があって、きわめて教育的だと思う。
 こういう教育活動は、昔は結構普通に行われていた。しかし、このやり方は効率的ではない。効率、経済性を追求する経営論的な今の教育観のもとでは、邪道なのかもしれない。

2008年4月23日 (水)

春の高山祭り・余話

 余話1
  宿泊は、ひだホテルプラザ。駅に近く、便利。
 部屋が広く、きれい。特に、洗面所とトイレが広くとってある。トイレの便座の脇にある手洗いは、宿によっては洗面台ほどの大きさ。もちろん、タオルが設置されている。
 食事のときに、席に案内してくれるのもよい。これは結構やっているところが多いが、朝食のバイキングでもそうなのだ。まず席に案内し、使用する席を指定・確保してくれる。その後、食事をする席からは見えない室の外側に並んでいる料理を取ってくるようになっている。せわしない感じや騒がしさがなく食事ができてよい。
 大浴場を利用した。それほど広くはないが、脱衣場をはじめすべてが畳敷きだ。洗い場まで畳なのは初めてだ。ぬれた畳はどうするのか、素材や」衛生管理はどうしているのかな?

 余話2
 
おみやげ物を物色していて、珍しいものに出会った。
035  携帯ストラップで「えとぼぼ」を売っていた。「さるぼぼ」は飛騨のみやげもので有名だが、「さる」ならぬ「ね」「うし」の干支だ。それだけなら珍しいと、わざわざ取り上げはしない。写真が少しぼけていてわかりにくいが、腹掛けの文字をよーくみてごらん。確かに「うまぼぼ」と書いてある。しかしこの人形は、確かに「いのしし」だ。数多い作業で間違ったのだろうが、腹掛けの文字はシールではなく手書きのようだから、この作業をした人は人形の顔を見ながら、「うま」と書いたということになり、おそらくはめったに生じない間違いだ。あえて買い求めて、自分の携帯につけておいた。私の干支は、いのししでもうまでもないけれど。

2008年4月20日 (日)

花、次々と咲く(2) 子宝草の花

 前に紹介した庭の花。その後も次々に咲いている。

 雪椿や枝垂れ桃が終わる頃から、ハナミズキが咲いている。山吹も盛り。鉢物も盛り。蘭のいろんな種類が、寒いときには屋内に置かれていたのが外に出されて、元気。
005  写真の向きが修整してないが、珍しい花を紹介する。俗に、「葉から芽」と呼ぶ「子宝草」。これまでにも何度か咲いたが、今年も花をたくさんつけた。これは暖かいところのものだそうで、冬は屋内で管理しないと霜枯れてしまう。なかなか花を咲かせるのは難しいのだそうだ。見たことがある人は少ないと思う。また、花だけを見ても、何の花かわからないだろうと思う。

2008年4月15日 (火)

春の高山祭見物

 今朝の新聞に「春の高山祭」の記事が載っていた。12万3千人の人出だったという。

 ツアー旅行で13日・14日と高山に行って来た。幸い天気が味方してくれて、傘をさす必要がなかった。それどころか、ちょうど「からくり奉納」の時間には強い日差しがさして、約1時間の見物でひやけし、顔がひりひりする始末。
 募集広告を見て、13日(日)が宵祭りだと思い込んで申し込んだのだが、実際は14日だったのだ。したがって、我々が着いた13日はお祭りはなかったのだ。そこで、13日には、高山の「古い町並み」を散策し、さらに高山駅から列車に乗って「飛騨古川」まで行って、少しの時間街を歩いた。ねらいは「アートインふれ愛館」でトンボ玉を見ることだった。途中、街の風情を楽しみながら寄り道をしていたせいで、目的のところに着いたら店じまいをしているところだった。頼んで、いったん消した電気をつけてもらって見せてもらった。
 この飛騨古川の町も、風情のある町並みで、いろいろな観光施設があるようだ。残念ながら時間の関係で、訪れることができなかった。機会があったら「飛騨古川まつり会館」「飛騨の匠文化館」などは、ぜひ見たいと思う。
 我々が帰る日の14日から「春の高山祭」が始まったのだが、「からくり奉納」「屋台曳き揃え」ともに好天の中で見られたのはよかった。からくり人形の演技は、「三番叟」と「龍神台」、それに「石橋(しゃっきょう)台」の三つの屋台が行った。このうち「竜神」は、音響も人形操作も失敗で、みじめだった。ブーイングが起きてもよいくらいだった。この失敗を私は予感した。というのは、他の屋台がいろいろ準備を済ませて、緊張感をもって出番を待っている感じであったのに、この屋台はなかなか準備にかからないだけでなく、上で1歳くらいの子供を抱いてあやしていたりしたのだ。人手が足らなかったのだろうか。結果、音響は途切れ途切れ、人形を操る糸がからんで人が出てきて慌てて糸をほぐすといった有様だった。
 屋台はいずれも絢爛豪華。彫刻、垂れ幕の刺繍、構造などいずれもすばらしい。また、屋台の運行に携わる人たちのいでたちもよい。裃・袴に笠、細い杖を携えている。
 以前一度高山を訪れたことがあって、そのとき「祭り会館」を見たけれど、祭りはやはりその場に入って味わうのでなくてはわからない。外国人観光客の多いのにも驚く。外見でそれとわかる人も多いが、そうでなくても仲間との会話から外国の人だと分かる人も多い。
 
 初めて高山の祭りを見て、今度は秋の祭りを見たい気持ちになった。

2008年4月12日 (土)

花、次々と咲く

011  先日、「桜祭り」をやっている天覧山の麓の広場に行ってきた。ちょうど桜が満開で、天候もよかったので、かなりの人出だった。
 自宅からは、ゆうに3キロ以上はあるが、往復歩ったのでいい運動になった。後でスケッチブックに描こうと思って、何枚か写真を撮ってきた。ここに上げた写真も、そのひとつ。

002  我が家の庭も花盛り。左の写真は、向きが修整されてないが、雪椿と枝垂れ桃の花。雪椿は、名は寒いころに咲くのかと思わせるが、そうではないようだ。だいぶ前に宿泊先の宿で、プレゼントでいただいたもの。枝垂れ桃は、買った苗木を植えて、もうだいぶ経っている。これまでなかなか枝が垂れずに、直立枝ばかり伸びていたが、今年はやっと「枝垂れ」になって、花もよく咲いた。せっかく咲いた花を、ヒヨドリがいたずらをして落とすのには困ったものだ。
 「徒然草」に、カラスが池のカエルを捕るのでカラスがとまれないないように屋根に綱を張ったということに対して「無風流」だと批判している段がある。これを思い出しながら、その頃の鳥よりも今の鳥は「性質が悪い」のではないかと思う。何世代にもわたって学習をしてきた知恵が蓄積されているのだろう。庭を訪れる本来は「風流」として、心広く眺めるべき鳥に手を焼いているという話は、いくつも聞いている。

2008年4月 7日 (月)

春うらら目はうるるんでー

 3月4月は、春到来という心理的に浮き立つ気分とは裏腹に、体調がよくない。これはここ数年、決まって訪れる現象だ。
 主たる原因は、花粉症。鼻水、目のかゆみ、くしゃみなど、起きているときのみならず、夜中にも寝ていて発作が起きる。重症の人の症状を聞くと、自分はまだ軽症だと思って、自らを慰めている。私の場合、前にあげた花粉症の一般的症状のほかに、飲食物がスムーズに飲み込めないということが起こる。急いでものを食べたときに胸につかえることがあるが、あのような現象で、苦しい。
 今年は、この花粉症に加えて、風邪を引いたらしく、激しい下痢になった。これは、病院でもらった薬で何日かで回復した。
 しかし、花粉症のほうは未だに治らない。時が来るのを待たねばならないようだ。耳鼻科に行った時に、待合室に「花粉症川柳の募集」という掲示があった。戯れに一句。
  春うらら目はうるるんで鼻くしゅしゅん

 最近、作品制作をしていないかのように見える我がブログ記事だが、やっていないことはない。体調不良でエネルギーが十分ではないが、木彫、水墨画を中心にやっている。水彩画も手持ちのスケッチブック(F6)にスケッチを描き、彩色できるばかりになっている。
 水墨画は、初めて15号を描いた。北海道に旅行して流氷を見てきたのをテーマに描いた。満足のいくできにはならなかったが、もしかしたら公募展に出してみようかと思っている。

2008年4月 1日 (火)

「言志録」 14

 若い時は、経験を積んだ人のように、十分に考え、手落ちのないように工夫するがよい。年をとってからは、若者の意気と気力を失わないようにするがよい。(34)

 若いときには、血気に溢れ、ともすれば性急になる。これに抑制を働かせようというのだ。逆に、老いとともに体力が衰え、意気は消沈し気力が失われていく。これに発破をかけようというわけだ。もっともだ。
 「若い時」は遠い昔のことになった自分にとっては、「年をとってからは」のほうに大部分の関心が向く。
 一時、「老益」(楠戸義昭・NHKブックス)という本がだいぶ売れ、この書名の言葉がはやった。とかく「老い」にはマイナスイメージが色濃く「害」と結びつきやすいが、実は「害」だけでなく「益」もある。50歳からの人生を前向きに生きることが「老益」につながる。こういう考えることから、歴史上に「老益」を発揮した人物を紹介している。
 それまでの経験を生かして事に当たるという点で、それを持たないものよりはよい仕事ができるだろう。意気や気力というエネルギーがありさえすれば。しかし、エネルギーが十分にあっても、所詮、器械は古くなっている。要注意。

 横井也有の「鶉衣」のなかに、「老いは忘るべし。又老いは忘るべからず。」とあるそうだ。これは、絶妙な言葉だと思う。

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