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2008年3月28日 (金)

「言志録」 13

 志を立て、これを求めれば、たとえ薪を運び水を運んでもそこに学問の道はあって、真理を自得することができるものだ。まして、書物を読み、物事の道理を窮めようと専念するからには、目的を達せないはずはない。しかし、志が立っていなければ、一日中読んでいても、それは無駄ごとに過ぎない。だから、学問をして、聖賢になろうとするには、志を立てるより大切なことはない。(32)

 朝の連続テレビドラマ「ちりとてちん」が、明日で終わる。主人公の若狭が、入門したてに掃除・洗濯など家事労働を、その道に入る基本だということでさせられていた。そういう話は、いろいろな方面で言われるように思う。確かにここには一理あると、自分の経験からも同感する。
 漫然と書物を読んでいても、読書から何かを得るという効率の点ではあまりよくはないだろう。しかし、「無駄ごとに過ぎない」ということはあるまい。いまだ確固とした志を持たないものが、それを求めて書物を読むということがあるに違いない。志を立てたものは、ほうっておいてもいいくらいなものだ。自ら求めて次々と書を読み、実践をするに違いないからだ。しかし、志が明確にもてていないものは、それを求めてさまよわなければならない。読書はおそらく、その出会いの機会を提供するだろう。
 ここで言っている「志」は、求める意志、だろうと思う。自分は何になろうかと探し求めているものは、すでに「志」を持っているといってよいのかもしれない。問題は、どうしたいのかも考えられないものの場合だ。最近はそういうものが増えたような気がする。豊かさが災いしているのかもしれない。
 

2008年3月23日 (日)

「言志録」 12

 自分を責めることのきびしい人は、人を責めることもきびしい。他人を思いやることの寛容な人は、自分を思いやることも寛容である。これらは皆厳なれば厳、寛なれば寛と、一方に偏していることは免れない。立派な人物である君子は、自ら責めること厳で、他人を責めること寛である。(30)

 佐藤一斎は、別のところで「春風を以て人に接し、秋霜を以て自ら慎む」ということを言っている。そうありたいとは思うものの、現実にはなかなか難しいことだ。だからこそ、それができる人物は「君子」なのだ。小人はこれとはまったく逆に、自分に寛、他人に厳であることが多いようだ。

 「論語」の中で、子張が孔子に「仁とは?」と質問したのに対して、次の五つを天下に行うことだと答えた話がある。その五つは、「恭・寛・信・敏・恵」であり、「自分の態度が恭しければ他のものに侮りを受けることはない。寛大な人は多くの人々の心を捉えることができる。信義に満ちた偽りのない人には他の人は安心してすべてを任せる。敏速にことを処理すれば必ず成績が上がる。恵みが深ければ人々は快く命令に服して働いてくれる。」と言っている。 

 佐藤一斎は、当然「論語」は読んでいたろう。一斎の「言志四録」のうち「言志録」は、彼が42歳から11年間に書かれたものだそうだ。孔子の言葉にしろ、一斎の言葉にしろ様々な経験からにじみ出た「信念」なのだと思う。それにしても、この年齢でよくも達観できたものだと驚かざるを得ない。

2008年3月19日 (水)

姫辛夷(ヒメコブシ)

 庭のヒメコブシのつぼみが割れかかって、割れ目からピンクの色がのぞいている。もうずいぶん前に植えた木で、時々枝を剪定する。その枝を使って彫り物をすることがある。写真は、今年になって彫ったもの。「こけし雛」という題名で、今月初めの中央公民館祭りに出展した。高さ約20センチ、直径5センチ。
001  これまでも、人に「何の木?」と聞かれることがたびたびあった。そのつど「ヒメコブシ」と答えていた。しかし、ヒメコブシを知っている人はなく、「コブシですか?」と言う。
 その実、私もコブシとヒメコブシの違いを了解していたわけではない。そこで改めて辞典をひいてみた。

 姫辛夷 シデコブシの別名。モクレン科の落葉小高木。中国原産で庭園などに植える。コブシによく似ているが、がくと花弁の区別がない。十数個の花弁を玉串などに垂れ下がる「四手」に見立てた。
 辛夷 モクレン科の落葉高木。高さ7~8メートル。葉は互生し広卵形。春に香りのある白い花弁をつける。実は握りこぶしに似る。つぼみは「辛夷(しんい)」といい、解毒剤、材は器具・建築に、花は香水の原料などに利用。

 辞書の解説だけではわかりにくいが、別物だということはよくわかる。大まかに違いを言えば、コブシのほうがヒメコブシより大きい樹木、コブシの花は白、ヒメコブシは(辞書にはないが)ピンクだということか?それから、コブシの木は切ったことがないので分からないが、ヒメコブシは、枝を剪定すると切り口からいい香りがする。剪定してからしばらく乾燥させておくのだが、その後でも切ったり彫ったりするといい香りがする。
 これまでに庭の木を剪定してとっておいたものが何種類かある。その中では、最も彫り物に適しているかもしれない。樹肉が密に詰まっていて、やや硬いが、切り口が滑らか。今後も気が向けばとってある材料を使うことがあろう。

2008年3月17日 (月)

「言志録」 11

 少しでも頭の中にほこりたかぶる気持ちがあれば、それは天地の道理と相離れることである。(28)

 「ほこりたかぶる気持ち」と同じではないが、別物でもないという気がするものに、「生きがい」がある。自分の存在意義を実感できる状態とどこか通ずるものがあるように思うのだが、どうだろうか。
 安岡正篤が「人間を磨く」の中で、隋の正通が言ったという「三有」ということを、次のように紹介している。 
 「三有とは何か。慈であることがその一。倹であること、倹約で贅沢でないことがその二。その三は、敢えて天下の先と為らず。これは「老子」の中にもある有名な言葉で、人と下らぬ競争などしない。先っ走りはしないこと。なるほどこれだけのことができたら、人間も大自在である。及ばずながら行じたいことである。」  

 

2008年3月14日 (金)

「言志録」 10

 真に大志ある者は、小さな事柄をも粗末にしないで勤め励み、真に遠大な考えを持っている者は、些細なことをもゆるがせにしない。(27)

 こういうことは、いろいろな人が言っている。難しいことだからこそ、同じことが言われてきたのだ。とかく目の前の小さなことには手を抜いてしまいそうだ。
 「論語」の中に「人遠き慮り無くんば必ず近き憂い有り」とある。孔子の弟子の顔淵が孔子に質問したその答えの一部。「人がもし眼前の安きに馴れて、遠い将来のことを手広く熟慮して予防しないと、必ず足元からの禍いが起こるものだ」ということを言っている(新釈漢文大系による)。言わんとするところは、同じようなもの。蟻の穴にも注意を払わないと、堤防も決壊することになるのである。
 ところで、「計」をたてるにも、どれだけ先を見据えるかが大事なことは言うまでもない。「管子」の中に次の言葉があるということを、読んだことがある。「一年の計は、穀を樹うるに如くはなく、十年の計は、木を樹うるに如くはなく、終身の計は、人を樹うるに如くはなし。」(注:「樹うる」は「ううる」と読み、「植える」の意) なるほど、と思った。

2008年3月11日 (火)

「言志録」 9

 物事を考える場合は、周到綿密なることが必要だ。いったん考えがきまったら、これを行うには手軽に片付けることが必要だ。(26)

 口語訳が「手軽に」となっているところが気になる。気になるというより、納得しがたいところが残って、しっくりしない。この部分は原文では「易簡ならんことを欲す」で、確かに「易簡」には「手軽に」という意味があるが、「作為を用いないであっさりしていること」という意味もあって、むしろこっちではないかと思う。「手軽に」がその意味だというならそれでいいが。
 私の語感では、「手軽」というとなんとなく「気にかけるところがない」様子が思い浮かぶ。しかし、実施に移行してからも心遣いを怠るところがあってはならないのではないかと思う。確かにせっかく周到綿密に計画しても、実施の段階でへんにいじりまわしてだめになってしまうことがある。これは「回顧」。仕事を離れてからは、計画の段階も実施の段階も、そんなに気に留めることはない、いい加減、適当なところでいいのではないかと思っている。あんまり「詰め」がしっかりしていると、かえって堅苦しいということで、スムーズにことが動かないところが出てくるような気がする。

2008年3月 9日 (日)

「言志録」 8

 前にも書いたが、引用文は」口語訳である。文末のカッコ内は、条数。

 心がよこしまであるか正しいか、また気が強いか弱いかは筆蹟に現れるもので、これをおおい隠すことはできない。また、心の喜びや怒り、哀しみやおそれということ、及び勤勉、怠惰、平静、噪然などに至るまで、皆これらは字に現れるものである。故に一日の内、自分で五、六字を書いて、それを繰り返しよく観れば、自己反省の一助になろう。(24)

 心の状態は、顔色や行動に現れるというが、書いた文字にも現れるものだという。だから、書いた文字をじっくり観察すれば、自己反省になるというのである。
 私は、日記をしばらく前から書いている。5年日記とかいって、1冊に5年間書ける日記帳だ。今日の文を書くときに、去年の記事がすぐ眺められておもしろい。文字の書きぶりもそのときの状況を表しているような気がする。
 この条文を読んで、強く関連して感じたのは、絵を描いたり彫刻をしたりするときのことだ。気持ちが「乗って」一筋に集中しているときとそうではないときとでは、出来が違う。そういうことを実感している。よく仏師や刀鍛冶が装束を整え、水垢離をして作業に入るというのも、こういったことと関係あるような気がする。

 「孟子」の中に、「鶏犬の放たるる有れば、則ちこれを求むることを知る。心を放つこと有るも求むることを知らず。」とある。自分の心がしっかり自分のもとにつかまえてある、これをついうっかり忘れたままで事に当たりがちだ。気、機が熟していないと、どうしてもいい結果にならない。

2008年3月 7日 (金)

公民館まつり

 飯能市の中央公民館まつりが、昨日から始まった。

 昨日は、9時30分から搬入と会場設営で出かけた。あいにくと駐車スペースがほとんどなく、こういうときに車で行けない。やむをえず、出かける予定のあった妻に近くまで乗せていってもらった。車でなければとても搬入は無理。歩くと急いで30分はかかるところを、重い荷物を両手に下げては歩けない。「ついで」がなかったら、出品をやめていたかもしれない。昨年は前日に所定の部屋に、あらかじめ搬入ということができたのに。今年はそれもない。どうしたわけなのだろうか。
 展示は、公民館の職員があらかじめレイアウトした図面で、指定したところに展示することになっている。ところが、これがまったくでたらめで、コの字型に立てたパネルの間隔が狭いのだ。それだけではない。その間に入れる机が、予定どおりに入らない。多くの者が不平を言いながら作業をしていた。私もその一人。おそらく、実寸を考慮に入れないで作図したのだろう。また、図面上だけではだめで、実感できるように一部分組み立ててみる必要がある。おそらく反省会で、運営担当者に批判噴出だろう。

 私の出品作品。「1964 Тokyo  Оlmpic」・「宗休の書」の2作は壁面展示。特に前者は41x59センチの大きさで重さが5キロ以上ある大物。
 卓上展示作品として、「早春」・「夏の風」・「秋祭」・「厳冬」・「静座」・「地蔵菩薩」・「こけし雛」の7作品。これらはいずれも20センチほどの高さの小さなもの。
 以上の作品は、昨年の公民館まつり以後に作ったもの。

2008年3月 5日 (水)

写生会に参加する

 昨日は、「美会21」の写生会に行ってきた。美会21は、いきがい大学という名の老人大学の校友会のサークル。絵画のクラブで、水彩、油彩、水墨その他なんでもありというので、私も入れてもらって、時々活動に参加している。

 午前9時30分、西武秩父線横瀬駅に集合し、車で来た人の車に分乗してスケッチポイントに出かける。およそ4グループに分かれたようで、羊山公園、芦ヶ久保、浦山ダム、巴川橋付近に散って、描いた。私はこれといって描きたいポイントがあるわけではないので、とりあえず巴川橋付近のグループに入れてもらって、出かけた。
 坂道を歩きながら描こうと思うところを探して、とりあえずここにするか、と決めたときには汗をかくほどだった。残雪の武甲山を左上に入れた景色を描いたが、自己満足すらとてもできない絵になった。技術が未熟なのがその最も大きな原因である。加えて、集中力や情熱が欠けているとわかっている。
 小耳に挟んだところによれば、同じ場所に何度も足を運んで描いている人、画家の絵でこの構図がいいなと思うとそれがどこか突き止めてその場所に出かけるという人、一人であちこちにスケッチに出かける人、私とは大きな差異だ。この日の写生会のために、前の日から来てスケッチポイントを探して回ったというAさんの話にはみんな驚いていた。一泊してもう一日描こうかという声もあったが、さすがに同意するものはなかった。
 3時30分、西武秩父駅集合。仲見世商店街のお店でコーヒーを飲みながら簡単な批評会をやって、解散になった。

今日の午後、昨日の絵を修正しようかとスケッチブックを開いてみたが、どうしてもその気がしない。直してよくしようという気さえ、わいてこない駄作だということだ。その代わりに、水墨を一枚描いた。2月に家内と北海道に行ったとき撮った写真をもとに、砕氷船の中から見た流氷群と紋別の海岸を、構図を考えながら風景を作って描いた。F15の大きさ。これは下絵ということにして、何日かほうっておいて、修正したいところが出てきたら描き直して一作品にしようと思う。

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