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2008年2月24日 (日)

「言志録」 5

 10年余り前、「言志録」を読みながら共感する条項をノートに抜書きしておいた。抜書きしたのは、書き下し文(原文は漢文)と口語訳。いま、それを読み返しながら、即興所感を書き付けている。今回、その5回目。

 人間はだれでも、次の事を反省し考察してみる必要がある。「天はなぜ自分をこの世に生み出し、何の用をさせようとするのか。自分は天の物であるから必ず天職がある。この天職を果たさなければ、天罰を必ず受ける」と。ここまで反省、考察してくると、自分はただうかうかとこの世に生きているだけではすまされないことがわかる。(10)

 訳注者の「付記」に、「自分は生きているのではない、生かされているのであるということ、これがわかれば立派である」とある。生かされているとわかれば、人のため世のために尽くさなければ甲斐がない。ここまでは頭の中でわかる。まだ十分にではないかもしれないが、この私にもかなりわかる。しかし、ここから先が、難しい。何をするか、自分に何ができるかということと、行動すること。

 人のため世のために色々な役割を担ってくれている人がいる。無償のサービスをしてくれるそういう人は「偉い」と、つくづく思う。」また、自分の特技や趣味を人々の前で披露している人たちもいて、これもすばらしいと思ったりする。こういう人たちは、ある程度自分の力量に自信があるからできるのだろうか?何をとってみても自分の力が乏しいことを知っている私には、「やりましょう」と請け負うことができない。中途半端なことをするに違いない、間違った事を教えるのではないか、人を不快にするのではないかなどなど、考えてしまう。

 こんな事を考えているうちは、「生かされている」ということを本当にはわかっていないというべきか。我を忘れて「出る」ようでなければ。

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