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2008年1月31日 (木)

「言志録」 2

 「言志録」を読んだのは、10年以上前のことだ。読みながら、共感した条文をノートに抜書きをしておいた。それを今、読み返しながら所感をつけることにした。

 発憤するの憤の一字は、学問に進むための(最も必要な)道具である。かの顔淵が「舜も自分も同じ人間ではないか」(成らんとする志さえあれば自分だって舜のような人物になれるぞ)といったことは、まさに憤ということである。(5)

 「論語」に「憤せざれば啓せず」とある。教育の原理原則を言っていると思う。憤するのを待つか憤するように仕向けることが必要だ。学習指導でよく「動機付け」ということが言われるが、それが憤するように仕向けることだ。待ったり仕向けるということは、時間のかかることである。教育の原理原則は、時間をかけることだと思う。物を創るように、効率や合理化で短時間に優れたものを作り出すことに不向きなのが教育だ。

 

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