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2007年10月26日 (金)

俳句が文芸欄に掲載される

 今朝、Hさんから私の投稿した俳句が、新聞の文芸欄に掲載されているというお電話をいただいた。投稿を始めて二度目である。わざわざご連絡を下さるH氏のご好意はありがたい。

 今回は、「苦瓜の葉陰に裂けて凄まじき」が取り上げられた。早朝の散歩(ウオーキング)のお決まりのコースの路傍で見かけた様子を句にしたもの。苦瓜の葉はかなり遅くまで枯れ落ちないでいるようで、多少黄ばんだ茂っている葉の陰で、わざともぎ残してあるのかどうか、一本の苦瓜が完熟した姿をのぞかせていた。この様は、グロテスク、気持ち悪い、などと思われるほど「どきっ」とする。

 この裂けて出ている実(種)を食べてことがある。甘くてまずいとは言えないが、おいしいとほめるほどでもない。ほとんどが種でその周りについている果肉(?)をしゃぶるのである。

 以前、「ゴーやチャンプル」の記事に苦瓜のことを書いたことがある。我が家では、チャンプルにしたりサラダにしたりして毎年食べている。

 ついでに。里帰り出産の娘が、昨日の朝7時12分、3572グラムの男児を出産した。連れてきている3歳のすぐ上の孫娘が、母親から離れて我が家で寂しさに耐えているのが不憫で、妻と二人で相手をするのに気を使っている。

2007年10月24日 (水)

校友会文化祭始まる

 昨日から校友会の文化祭が始まった。28日までである。

 昨日は、朝から展示物を搬入するのに大変だった。F10の水墨画の額を二つ、F4の油絵の額(これは銅板レリーフを入れてある)一つと木彫の人形4体を持って、電車で1時間あまりの会場に出かけた。乗換えが1回。

 運びこんでから会場設営と作品展示を午前中いっぱいやった。私は、チャリティーの会場担当で、少ない人数でたくさんの展示物を展示するのが大変だった。午後からは、この販売担当で、これも大変な作業だった。どんな小物でも一つ一つの売り上げに伝票を切らなければならず、作業が面倒である。お金を扱う作業だから厳正を期しているわけ。忙しくて、展示作品をゆっくり見る時間がなかった。今度最終日が当番なので、そのときに見られるかどうか。当日は、やはりチャリティーの当番だし、銅板工芸の実演のとうばんにもあたっている。そんなに時間がないかもしれない。

 出展作品数は、絵画161点、写真41点、書54点、手工芸134点、文芸33点の総数423点である。このほかに、チャリティーの展示作品が、絵画・写真・手工芸などの総数200点余りある。チャリティーの作品は、あらかじめ調査した段階では158点だったが、申告なしで当日持ち込まれたものがかなり多く、いちいち数えていられなかったので概数である。

 作品の中には、すでにプロ級のものから、いかにも習い始めというレベルのものまで様々であるが、老後の時間を楽しんでいるという雰囲気が溢れている。

 これから先、展覧会がいくつもあって、搬入・搬出の日程がたてこむ。飯能市美術展、日高市高麗川公民館文化祭、日高市美術展、自己満足展などに作品を出す予定でいる。同時に、水墨画・木彫の作品作りもする。まことに幸せな日々である。

2007年10月19日 (金)

里帰り出産

 娘が里帰り出産のために帰ってきて1週間になる。

 先週の金曜日に、車で1時間ほどの住まいまで迎えに行ってきた。何日の滞在になるかわからないので、荷物も多い。さらに、6歳と3歳の子供もいる。上の子は、幼稚園に行っているので、日曜日に娘の夫が迎えに来て帰っていった。月曜から金曜までは、娘の夫の母親が送迎をして、幼稚園に通っている。聞き分けができるようになって助かる。

 しかし、今夜、この上の子が娘の夫に送られて泊まりにきた。おそらく土・日をこちらですごし、日曜日にまた迎えに来て帰るものと思う。下の子一人でも結構手がかかるが、上の子が加わると、兄妹のじゃれあいから喧嘩になったり、悪ふざけがエスカレートしたりでうるさいこと限りない。

 今日は、午前中、公園に連れて行って遊ばせた。午後は、娘の検診予定になっていて、車で送迎した。出産予定日が23日だそうだが、もしかすると遅れるかもしれないという。家の中がにぎやかになる、笑い声が多くなるなど活気があってよいといえばよいが、自分のペースで過ごしにくいというマイナスもある。それでも私の場合は、書斎に入ってしまえば孫たちが入ってこないので、結構自分のことができる。しかし、妻はそういうわけに行かないので、大変だと思う。

 順調に母子ともに健康な出産ができることを念じながら「奮闘」しているという感じである。 

2007年10月14日 (日)

古典講読「杜甫」

 NHKの古典購読「杜甫」が、今月から始まっている。昨日は第2回で「洛陽から長安へ」というタイトルで、杜甫が30歳のころの作品を読んだ。

 李白のときも聞いたが、今回も聞いてみようと思って、先日市内の書店でテキストを買ってきておいた。

 今回の作品の中では「飲中八仙歌」が面白かった。杜甫は33歳のときに11歳年上の李白に出会う。その少し後の作品といわれるこの詩には、ユニークな八人が紹介されている。中でも、李白については「李白一斗詩百篇」という有名な句に始まって4句を費やしていて、他のものの倍以上も使っている、それだけに、李白を尊敬する気持ちが強かったのかと思う。

 次回以降も、忘れないようにして聞こうと思う。

2007年10月11日 (木)

奥の細道・最上川

 昨晩、趣味悠々の奥の細道を見た。「急流名峰をゆく」と題して、最上川と出羽三山を取り上げていた。

 芭蕉は最上川で「さみだれをあつめて早し最上川」と詠んだというが、この句の「早し」ははじめ「涼し」であったという。最初の句は、川を船で下る前、土地の句会で「あいさつ」として作ったもので、川くだりの体験に基づくものではないらしい。船で下ってはじめて「早し」を実感し、なおしたものだという。が、なおしたというよりは、初めのは初めのとして「あいさつ」であり、なおしたという後の句は「実感・体験」だとみるべきではないか。推敲したというには当たらないように思う。

 しかし、芭蕉は、生涯推敲に心を砕いたと、どこかで読んだ気がする。厳しい追求を自分に課していたらしい。旅も、芸術の追求の手段だったのではないかと思う。いてもたってもいられない、先へ先へと気がせいてたまらない、何か突き動かすものがあって旅をし、句を作り、推敲を重ねた生涯だったのではなかろうか。これだけ厳しい旅程をこなしていくのには、体力は当然なければならないが、「気力」にあずかるところ大、なのだと思う。

 芭蕉の、最上川の句に対比されるのが、蕪村の「さみだれや大河を前に家二軒」である。芭蕉の句が船上の体験に基づいているのに対して、蕪村の句は少し岸辺から離れたところからの叙景である。芭蕉の句は絵にはならないが、蕪村のはすでに絵そのものだ。動と静、どちらもよい。

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