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2007年8月21日 (火)

ボランティア?に参加して

 一昨日、小学生を対象にした「夏休み体験教室」のお手伝いに行ってきた。木彫サークルの先生の呼びかけである。昨年もお手伝いをしたが、昨年は1年生も参加していたし、道具を持っていない子もいて、大変な思いをした。今年は、高学年と指定したそうで、昨年のようなことはなく、スムーズに進行した。子どもたちもなかなかよい作品を作って、指導の甲斐があった。

 午前、午後それぞれ約2時間あまり、それぞれ17名の小学生が参加した。ほとんどのものが、学校でそろえたと見えるなかなかよい彫刻刀を持っていて、結構上手に彫っていた。彫りあがったレリーフに彩色を施す絵の具などの道具も、学校で教材としてそろえたものらしい、機能を考えた良い道具を持っていた。これらの道具を見て、隔世の感を抱いた。

 昼食は、先生の奥様が近くのお弁当屋さんで幕の内弁当とお茶を買ってきてくださり、ご馳走になった。主催の市教育委員会が準備したのではなさそうだった。あるいは、弁当代が先生のほうに出ていて、それで買ってきてくれたのかもしれない。

 「ボランティア」でお手伝いをして、という先生の呼びかけに応じて参加したのだが、弁当をいただいてはたしてボランティアなのかと思う。近年、ボランティアということが盛んに言われ、盛んに行われているが、その中身に疑問を持っている。

 ちなみに辞書で「ボランティア」を引いてみた。「自由意志をもって社会事業・災害時の救援などのために無報酬で働く人(こと)」と、三省堂の国語辞典にある。わたしの持っている語感に合致する。私の子供のころは、ボランティアということばは聞いたことがないような気がする。「奉仕」ということばがあった。同じように辞書で調べると、「自分にとっての利害や名誉を無視して国家・社会・人のために尽くすこと」とある。これらから、私の語感としては、無償、無報酬、自由意志、献身的な働きなどの要件があるのがボランティアだと思っていた。だからボランティアには、手弁当で参加するものと考えていた。

 ところが、弁当が出るのは当たり前という風潮がある。弁当代は「日当」に当たるから無報酬とはいいがたい。ところが、ところが、聞いたところでは、弁当のほか交通費や日当がでるボランティアがあるというではないか。これはもうボランティアではないのではないか。なんだかおかしなことになっていると、つくづく思うのである。

 こんな私の「思い」から、ボランティアというものは、時間的にも精神的にも、金銭的にもゆとりのあるものがするものだと思っていた。ところが、ボランティアに精力を注いで、子供のことや家族のこと、家屋の内外の維持管理等々を二の次にして忙しくしている人がいるらしい。なんだかおかしくなっている。 

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