« 2007年7月 | トップページ | 2007年9月 »

2007年8月27日 (月)

時には読書も

 ちょうど1週間前、東松山に出かけた帰りに、川越の書店で文庫本5冊と辞典を1冊買ってきた。いずれも新聞の書評に出ていたもの。そのうち、文庫本4冊を読了。

 「春話二十六夜 岐かれ路」「春話二十六夜 月待ちの恋」の2冊は、春画をモチーフにしたエロチックな短編集。作者の坂東眞砂子のあとがきによると、ジャンクロード・ミッシェル(フランスの美術家)との共同作だという。それぞれ13話ずつ収められていて、春画を作品の冒頭に入れている。どちらかというと、後の1冊のほうがいい、という印象。少しストーリーが粗雑ではないかと思うものもあるが、江戸の春本と比べればよしとすべきなのかも知れない。春画・春本にも関心があって、雑誌「太陽」の特集のように絵をメインのしたものや研究的、学術的なものまで何冊か持っている。これらを通じて、北斎や歌麿の知らなかった一面を知って、世界が広まったように思う。

 「黒本ー平成怪談実録」は、36の短い怪談が収録されている。作者・福沢徹三が取材して書いたもの。心霊現象に関するものがほとんど。しかし、作者がもっと筆を駆使して、臨場感を持てるようにすれば良かったのにと思う。あらすじのような「あっさり」したものが多く、恐怖感を持つまでにはいたらない。

 「吐きたいほど愛してる。」(新堂冬樹)は、書評に「ハードな偏愛サスペンス」とあるように、自己中心的人物の姿が、ミステリー性を持ちながら悲惨に、気持ちが悪くなるほど凄惨に描かれていて、インパクトが強かった。

 文庫本の5冊目は、パラパラと何箇所か拾い読み(拾い見)。水木しげるの「図説 日本妖怪大鑑」は、絵とともに解説がついていて面白い。この方面には全く知識がなかったので、面白いのかもしれないが。

 買ってきた辞典とは、「ことわざ成句使い方辞典」(大修館)。以前私が執筆協力をした故事ことわざの辞典に比べて、収録項目が半分以下と少ないが、特徴もあって面白いので買ってきた。特徴の一つ目は、例えば「雨」を使う成句ということで、該当句をくくって示していること。二つ目は、巻末の「誤用索引」。おそらくこういうものは、これまでになかったものだと思う。意外に誤用に気付かずに使っている場合があるのを、ひそかに自己修正できると思う。

 文庫本の出版元を落した。「妖怪」は、講談社。その他は新潮社である。

 

2007年8月24日 (金)

佐賀北高の優勝を称える

 今朝、テレビで甲子園の高校野球で優勝した佐賀北高校の凱旋の様子を見た。

 報道によると、県立の進学校で、部活動が試験前には禁止になるとか、大会中も宿舎で勉強をしていたという。高校生であればそうでありたいもの。そういう高校が優勝したことは全く素晴らしい。多くの学校が野球留学の生徒を集めている中で、諸手をあげて快挙を賞賛したい。

 公立の学校は私立に比べていろいろな制約を受けていて、条件が不利だ。生徒の募集がそうだ。父母から集めるPTA、後援会や体育後援会などの会費もかなり制限されている。これらを逸脱すれば教育委員会からお叱りがありマスコミの攻撃を受ける。

 私立に行かせるというのは、「わざわざ」私立を選ぶのだと思う。公立にはない「特別な」サービスを受けたいから私立を選ぶのだ。公立にはない思想信条・宗教の問題もあろう。それよりも多いのが、学習環境の良好さ快適さを追求する者が多いと思う。一昔以上も前、中学生の保護者から県立高校に電話で問い合わせがあって、オタクの学校にはエアコンが入っているかと聞かれたので、入ってないというと、いくつかの私立の校名を挙げてみんな入っているのにダメね、というようなことを言ったという。おそらく、今でも教室にエアコンが入っている公立高校はほとんどないだろう。

 公立にはない特別なサービスを受けようとするからには、それなりの対価を負担しなければならないということは覚悟のうえだ。ホテルだって病院だって列車だって「普通」以上のサービスを受けるには、余計にかかるもの。それなのに、よりよいサービスを受けている私立の教育費が高く父母負担が大変ということで、署名陳情があり、実際に公費が私立学校に出されている。

 その昔、私立が公立に行けない人が、やむをえず行っていた時代ならいざ知らず、今は「わざわざ」高級さを求めて行っているのだ。

 知らない人が多いのだが、実は私立は教育委員会の管理下にはない。今年だったか教育課程の不正が摘発されたが、あれなどは公立ではありえない。厳正なチェックがあるから。そして最近では、大学合格実績を多くして宣伝材料にするために、優秀な生徒に受験料を学校が出して(実は父母から集めた金?)、受験選手にしていたというニュースがあった。これなどは、大分以前から聞いていたことで、やっとでたかという感じだ。それにしても、マスコミの取り上げ方も手加減をしているとしか思えない扱いだった。

 くどい愚痴は終わりにしよう。とにかく、県立佐賀北高校が優勝したことは、小気味よいばかりの喜びだ。バンザーイ!

2007年8月22日 (水)

とりとめもなき一日

 暑い毎日で、何かに集中して取り組んで「ああ、今日は充実した一日だった」という気分にはとてもならない。

 午前中、木彫を少しやる。ブローチを作ってほしいとある女性から言われているので、バラの花のブローチを作っている。期限がないので、出来上がるのは気分任せだ。

 午後、水墨画を1枚描く。しかし、気運が充実しないために、粗雑な作になった。雑誌を見ていたら、若い作家が、画用紙に墨を流して描く方法を紹介していた。興味を持ったので、少し真似をしてみようと思う。水墨画が、必ずしも和紙に描かなければならないということはないだろうから。ただし、公募展などでは、紙質を限定しているようだが。

 高校野球の決勝があった。書斎で水墨の真似事をしていたので、ほとんど見なかった。途中7回裏の場面を見たら、広陵高校が4対0で勝っていたので、これで決まりだと思った。そして、しばらくして再び居間に行ってテレビのスイッチを入れると、なんと佐賀北高校の校歌が流れているではないか。8回裏に一挙5点を入れて逆転したという。今年の高校野球の「ドラマ」は、例年以上に面白かったように思う。

 佐賀北が、公立高校だというところに、大きな意義がある。今年騒がれた「特待生」問題とは、おそらく無縁だろうから。公立では特待生を入れることはできない。学区の問題や免除した授業料・入学金の資金の問題、何よりも入学試験の公平さという点で、学校の宣伝になるからといって特別なことができないのだ。公立と私立の不公平さは、このことに限らずいろいろあるが、またの機会に愚痴を述べることにする。

2007年8月21日 (火)

ボランティア?に参加して

 一昨日、小学生を対象にした「夏休み体験教室」のお手伝いに行ってきた。木彫サークルの先生の呼びかけである。昨年もお手伝いをしたが、昨年は1年生も参加していたし、道具を持っていない子もいて、大変な思いをした。今年は、高学年と指定したそうで、昨年のようなことはなく、スムーズに進行した。子どもたちもなかなかよい作品を作って、指導の甲斐があった。

 午前、午後それぞれ約2時間あまり、それぞれ17名の小学生が参加した。ほとんどのものが、学校でそろえたと見えるなかなかよい彫刻刀を持っていて、結構上手に彫っていた。彫りあがったレリーフに彩色を施す絵の具などの道具も、学校で教材としてそろえたものらしい、機能を考えた良い道具を持っていた。これらの道具を見て、隔世の感を抱いた。

 昼食は、先生の奥様が近くのお弁当屋さんで幕の内弁当とお茶を買ってきてくださり、ご馳走になった。主催の市教育委員会が準備したのではなさそうだった。あるいは、弁当代が先生のほうに出ていて、それで買ってきてくれたのかもしれない。

 「ボランティア」でお手伝いをして、という先生の呼びかけに応じて参加したのだが、弁当をいただいてはたしてボランティアなのかと思う。近年、ボランティアということが盛んに言われ、盛んに行われているが、その中身に疑問を持っている。

 ちなみに辞書で「ボランティア」を引いてみた。「自由意志をもって社会事業・災害時の救援などのために無報酬で働く人(こと)」と、三省堂の国語辞典にある。わたしの持っている語感に合致する。私の子供のころは、ボランティアということばは聞いたことがないような気がする。「奉仕」ということばがあった。同じように辞書で調べると、「自分にとっての利害や名誉を無視して国家・社会・人のために尽くすこと」とある。これらから、私の語感としては、無償、無報酬、自由意志、献身的な働きなどの要件があるのがボランティアだと思っていた。だからボランティアには、手弁当で参加するものと考えていた。

 ところが、弁当が出るのは当たり前という風潮がある。弁当代は「日当」に当たるから無報酬とはいいがたい。ところが、ところが、聞いたところでは、弁当のほか交通費や日当がでるボランティアがあるというではないか。これはもうボランティアではないのではないか。なんだかおかしなことになっていると、つくづく思うのである。

 こんな私の「思い」から、ボランティアというものは、時間的にも精神的にも、金銭的にもゆとりのあるものがするものだと思っていた。ところが、ボランティアに精力を注いで、子供のことや家族のこと、家屋の内外の維持管理等々を二の次にして忙しくしている人がいるらしい。なんだかおかしくなっている。 

2007年8月19日 (日)

木のきいた仲間展 6

013  今回の展示会には、私としては初めての文字を彫った作品を出した。写真は、「宗休のことば」と題してカツラ材30センチx45センチに彫り、木彫オイルを塗布したもの。

「宗休」は、1949年茨城県笠間市生まれの陶芸家、浄土宗律師。詩画集「あるがままに」「であえてよかった」を出していて、著名人の刊行図書の題字も書いている。このことば(文字)は、「であえてよかった」の中にあったもの。

 この本は、家内と一緒に益子に泊まった時、そのホテルの売店にあって、文字の面白さにひかれて買ったもの。いつにか木彫で彫ってみようと思い、気に入った言葉の何箇所かに付箋を付けておいたが、展示会を控えた7月にその気が熟して彫った。

 実は、この言葉の最後「生かす」の「かす」に接近して署名と落款が小さく入っていたのだが、彫りを失敗したためにカットしたのだ。その点では失敗作である。しかし、板の面の上のバランスでは、これでもオーケーという感じ。

2007年8月17日 (金)

木のきいた仲間展 5

017_2  今回、木彫以外のどんな作品も出してよい、という先生の企画に乗って出した作品で、「よかった」と思ったのは、俳画作品とそれを木彫作品にしたものを並べて展示できたことだ。

 写真左上は、俳画作品。色紙に描いたもので、以前公募展に応募して賞をいただいた作品。これを木彫で表現しようと思案していたところ、いい具合に材料が手に入ったので挑戦してできたのが、写真左下である。

016_4 材料は、タモ。木目のきれいないい材料。色紙額よりも縦が長く、60センチある。そこで、一工夫して掛け軸風にするために、上下に江戸文様を彫ってみた。彩色は、顔彩。木彫オイルで仕上げてある。

自分の描いた絵を木彫にするという面白さはあるが、このような絵を元絵にするのでは、少し難があるかもしれない。迫力がないとか独創性や奇抜さがないとかー。豪快さ、ダイナミックといったものでないと、見る人に訴える力がないように思う。今後の課題か?

2007年8月16日 (木)

木のきいた仲間展 4

005 今回の出品で、木彫の最近作は「童女四季」と題して、シリーズもの。この写真は「早春」。

 新聞の折り込み広告やファッション誌などにでている、子どもの姿で気を引かれたものをとっておいて、これをイメージに作ることが多い。ほとんどが、いくつかの複合した「かたち」である。

木のきいた仲間展 3

 お盆で出かけたり、来客があったりで何日か日記をお休みしましたが、また展示会の記事を掲載します。

009 今回、先生の企画で「木彫以外のものも出展」ということで、調子に乗っていろいろなものを出した。そのひとつが、写真の水墨画。「ある街角」という題名で10号。水墨と言うと山水や草花が多いが、これは都市の街頭で、題材が身近だ。夕暮れ時のビルに趣があると思う。この展示会に出すつもりもあって、数日前に裏打ちをした3枚の作品の中のひとつ。他の2枚は、校友会の文化祭に出す予定だ。

2007年8月13日 (月)

木のきいた仲間展 2

 昨日、展示会が終わった。3日間、とは言っても初日が午後から、昨日が3時までと実公開時間が少なかった割に、300を超える来場者があった。先生の感想では、来場者数が「いまいち」、作品展示は「数・バラエティでグッド」ということだが、先生の企画に応じて木彫のほかに銅板工芸、水墨画、木版画などまで出展した私としては、これでよかったのかどうか未だに疑問。

004 今回、「木っ端も生きたいのです」というタイトルで、灰になるか朽ち果てる運命にあった木っ端に様々な顔を彫って、10数個並べた。少し手を加えれば、これらの木っ端も生き生きとして存在感を持つ。これは、人にも言えることだと思っている。

この展示会は、1年おき(前回、2005年8月)に開催。出展作品も前回以後の作品ということになる。大作にばかり取り組んでいる人は、点数からするとどうしても少なくなる。私のように、小さいものを作ることが多ければ点数が多くなるわけ。

2007年8月10日 (金)

木のきいた仲間展 1

Dscf0001_2 今日から「第6回木のきいた仲間展」が始まった。午前中9時から搬入。日高市の総合福祉センター「高麗の郷」は、大変立派な施設で利用者も多いらしく、今回は3日だけの開催となった。

展示をし、入口に写真のように表示をして、10時半頃に会場作りが終わった。すると、早々の入場者がなんとその昔、学生時代に家庭教師で教えたことのある女性。彼女が中学生だったろうか。ほぼ45年ぐらい前のことだ。よくわかったものと感心するが、その彼女がサークルの講師の先生のお宅の隣に住んでいるというから、まったくの奇遇、驚き。

Dscf0002 このような塑像を出品している。高さ38センチほどのもの。東松山市の高坂の駅前通りに、著名な彫刻家・高田博厚の彫刻が32基並んでいる。見学に行って写真に収めた作品の中から選んで、写真を見ながら粘土をこねて形を作り、仕上げにラッカースプレーで着色したもの。

実はこの作品、昨年の今頃、いきがい大学の課題学習で「埼玉のパブリックアート」に取り組んだ際に、展示発表用に作成したもの。台の上の作品では最も大きい。このテーブルは私の作品コーナーだ。質はともかく、数だけはたくさん出したので、賑やかな会場にするのに役立った。

2007年8月 9日 (木)

明日から「木のきいた仲間展」

 以前、予告したように、明日から木彫サークル「きつつきの会」「ピノキオの会」合同で展示会を開催する。この地域で発行されている「文化新聞」にも、今朝紹介されていた。

 なんでもどんどん出品してよろしいという、先生のお言葉に乗って、あれもこれもと幾つも出そうとリストしたものだから、箱に入れたり紐をかけたりが結構大変だった。明日はこれを会場に運んで飾り付けるのだから、もっと大変なことになる。下手の横好きで、あれこれと手を出して、奥に進むより店先を覗いている状況だから、幾つ出しても見てくださる人の気に入るようなものはあるまい。

 作品のうちいくつかは、ご希望のある方には差し上げようかと考えたが、うまい方法がない。搬出のときに会場に来ていただければ好都合だが、そうもいかないだろう。送って差し上げるのでは、送料がばかにならない。特に、以前作った作品などは、「処分」のつもりもあって、ナントカしたいのだが。処分品を差し上げるのは失礼かな?

 ここ何日か写真ナシの日記だったが、明日からは展覧会に様子を撮って、日記に入れようと思う。

2007年8月 8日 (水)

暑気払いの宴会

 昨日は、夕方から暑気払いの宴会があった。いきがい大学東松山学園美術工芸科21期のクラスの同級会。会の名前が「美工会21」という。

 出席が15名(24名中)と、あまり多くはなかった。しかし、盛り上がって予定時刻を大分超過して、たぶん8時半を過ぎていたと思う。一緒に同じ道を勉強した仲間と、飲食をともにしながらの歓談は、まったく時間のたつのが早い。

 Tさんがブログを見てくれているという。一人でも見てくれる人がいるというのは、また書き込もうと、やる気になるもの。うれしいことだ。同時に、内容をもっとよいものにしなければ、という気にもなる。そのためには、パソコンの操作をべんきょうするようだ。

 Sさんが、しきりに大きい絵を描くことを進める。あまり気乗りがしないわたしだが、仲間に熱心に言われると、ためしにやってみようかな、という気が少ししてくるのも不思議なことだ。多分、わたしの手にはとても負えないとは思うが、20号、30号にチャレンジするのが現実になるかもしれない。

 Mさんが、10月末にこの同級会の1泊2日の計画をしてくれている。皆さんのお世話を快く進んでやってくれる人が何人もいて、とてもありがたい。感謝、感謝。

2007年8月 4日 (土)

水墨画の額装

裏打ちをしておいた3枚の水墨画を額に入れた。

案の定、裏打ちのできはあまりよくなかった。少し糊が強かったかもしれない。窓ガラスに張って置いたのをはがすのに、一苦労だった。

1枚は、10日から始まる「木のきいた仲間展」に展示するつもり。題を「ある街角」にしようと思う。10号用の木製の額があったので、それを利用した。

他の2枚は「海」、「涼」という題にしようと思う。これは、アルミ製の額で、ガラス部分がアクリルである。校友会の文化祭ではガラスの額は出品できないことになっているので、この2枚を文化祭に出そうと思う。

2007年8月 3日 (金)

裏打ちと額マット作り

 昨日はクラブ活動で、東松山まで行ってきた。

 このクラブは、水墨画・表装クラブといって、通常は水墨画を描いているが、ときどき集中的に表装技法の実習をやる。今月は水墨を描くのは休みで、表装だけが行われることになっている。

 昨日は、自分の作品の裏打ちと額マット作りをした。裏打ちは、他の人のを3枚お手伝いでやってやり、自分のは1枚だけやった。本当は他の人のより大きい作品(10号)を裏打ちをしたかったが、他の者のはすべて6号。裏打ち紙の切断も6号用に準備されたので、遠慮したのだ。それに、作業台が小さくて10号の作業ができなかったからだ。私の裏打ちをしたものも6号のもの。

 マット作りは、私は参加しなかった。このマットは、共同で購入した額の物を作る作業で、購入しなかった私には不要だからだ。お手伝いとして、ホームセンターにベニヤ板を買いにいってきて、これを所定の大きさにのこぎりで切断。あとはみんなの作業を見物して、終わるのを待った。朝10時から夕方4時までの活動。

 今日午前中、やりのこしの10号の作品3枚を裏打ちした。自分の部屋の座卓を作業台にし、裏打ちしたものの乾燥には、部屋の窓ガラスを利用した。満足のいく仕上がりではなかったが、割合短時間にできた。ちなみに、昨日クラブでやったときには、糊は襖はり用の特別な糊。今日、私が使ったのは「やまとのり」という、チュウブに入った安物。マア、不十分なところがあってもよしとしよう。

 裏打ちが早く終わったので、木彫をやった。男女が抱き合っている形の像を、楠を材料に荒彫りをはじめた。以前マイセンの人形か何かで見た像のイメージがあって、それを粘土で作って、モデルにしている。出来上がるのはいつになるか?楠の強い匂いが部屋に立ち込め、窓を開放してあっても鼻や目にしみる。暑い日で、Tシャツがびっしょりになったので、途中から脱いで裸でやった。

2007年8月 1日 (水)

梅雨明け宣言?

 ニュースで、関東地方の梅雨が「明けたようだ」と気象庁の発表があったと、報道していた。昨年は、「明けていました」という事後報告、今年は不確定表現となんとも頼りにならない気象情報である。

 しかし、そもそも天然自然の現象は、人間に予測できない性質のものなのではないか。科学の進歩によって、仕組みが解明されたり不可能であったことが可能になったりしてはきたが、どうしてもどうにもならない部分があるものだと思う。

 科学の進歩のなかには、もうこれ以上は「追究しない」という抑制を働かせる必要があるのではないか、と思うような領域もある。自然の働きには、全く人間には不明のところがあって、自然に対する脅威や畏敬の気持ちがあるのだ。近年、少し人間が不遜になってきているような気がしないでもない。

 「天然自然の道も人間界の現象も、ゆるやかにめぐり動き変化するものだ。しかし、そこには成るべくして成る必至の勢いがあり、これを避けようとしてもかなわず、これを速めようとしてもかなわぬものである。」

 江戸時代、佐藤一斎が「言志録」のなかで、このように言っている。

« 2007年7月 | トップページ | 2007年9月 »

2013年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

最近のトラックバック